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3/25に誕生日を迎えました。

雨だし、寒いし、今年はなんとなくお祝いの気分ではなくて、特別な予定も立てず、ただただいつも通りの日を過ごしました。


その日はオーディションがあったので、帰り際、ずっと探していた松浦弥太郎さんの本を買おうと、本屋さんに立ち寄りました。

その本だけ買うつもりが、店内をぷらぷら徘徊していたら気になる本がたくさんあって(本屋さんのいいところ)、最終的に絞り切れず4冊になってしまったけど、「自分への誕生日プレゼントしよう…」ということで購入。 


たまたま手に取ってパラパラめくってたいた本の中の一文にとても癒され...↓

「今日、誰のために生きる?」ひすいこたろう, SHOGEN

その日のオーディションで、演技もうまくいかずナレーション読みで一番大事な企業名のところで噛む、という失敗を結構な人の前でしてしまい、恥ずかしさと悔しさとやるせなさが渦巻いて、終わってからため息が止まらず…自分はなんでいつもこうなんだろう、誕生日なのに最悪だ、と思っていた所にこの一文に出会い、救われました。


「失敗した自分、人間らしかった。そういう人間らしい人やそういう場面が自分でも愛おしいと思うし好きじゃないか。私が失敗して次の人の反面教師になったかもしれない、うんうん、、、」と自分に言い聞かせました。

完璧にやらないといけない場面で失敗すると、そこにいる誰もが「あ、失敗した…終わった…」となってしまいがちだけれど、今後は自分にも周りにも、失敗した場面に直面したとき、「人間らしいな」と思える心に余裕のある人でありたい、とそんな気づきをもらった誕生日でした。



ところで、なんで急にブログなんか書いているかというと、ここ最近、心のなかで「表現をあきらめない」という言葉がずっとこだましていて、自分でも「どういうことだろう?」と疑問なのですが…。


誕生日の日に、昔から応援してくださっている方からお祝いメッセージをいただき、私としては「こんな何もやってない私のことを応援してくれているなんて…」という申し訳ない気持ちがあるのですが、その方が以前、私が過去に書いていたブログや今のインスタなどで私が発信したことを目にしたり思い出したりするたびに何か考える良い機会になる、と仰ってくれたんですね。


それで少し「表現をあきらめない」っていう言葉と繋がったというか。


10~20代の時にやっていたブログは、自分がやりたい!というよりも、やらなければいけなかったので定期的にちゃんと更新していたけれど、今は何をやるのも自分の自由になり、自己肯定感の低い私は、「自分が書いたことなんてもう誰も読まないだろう」とか「自分のことを、アマチュアの文章で書くなんて恥ずかしい」という風になってしまっていました。


時代が変わるとともに表現の仕方も文字から画像、そして映像に変わり、いかに「多く語らず伝える」「おしゃれに発信する」に集中しすぎて、文章を書くという作業から遠のいてしまって、自分の表現にフタを閉めてきてしまったように感じます。

私がやっているSNSはインスタくらいですが、インスタで表現できるのは、人の1%くらいだと思っていて(私は全然更新してないから多分0.5%くらい)、そこをどうにかブログとか他の表現の方法を模索しながら、10%くらいにあげていきたいなと思っています。 


30代も半ばに近づき、急に切羽詰まり出した私ですが(←全然余裕になれてない)、今年は「表現をあきらめない」というのをひそかなテーマにしていきたいと思っています。


みなさんも一人一人が唯一無二の存在ですので、表現をあきらめず、何歳になっても失敗を恐れず、一緒にいろいろ挑戦していきましょう!私もがんばります。

高校時代にカメラ好きのおじいちゃんから譲り受けたフィルムカメラ。

最近、急に「フィルムカメラで自分のポートレート撮ってみたい」と頭にポン!とアイディアが浮かんで、実家に帰ったときに持ってきました。

フィルムカメラはずっと棚に飾っていて、その隣に現像していないフィルムもあったので、なんとなくそれも持ってきた。


10年前くらいからフィルムカメラは使ってなかったので、10年前くらいに撮ったものかな?ということくらいしか分からないまま、ずっと放置していたフィルム。


フィルムカメラで撮ったことがある人なら分かると思いますが、撮るのは良いがとにかく現像がめんどくさい&お金がかかる。

当時、現像代をケチり、そしてカメラ屋さんに現像に行くのを怠け、いつの間にか11年間という歳月が経っておりました。


フィルムを見ては「いつかしよう、いつかしよう・・・」と思ってはいたけれど。 その「いつか」が不意に昨日訪れました。


ふと、当時、高校の友達と川に行って写真を撮り合った記憶がよぎり、「当時の写真があったら面白いし見せたい!」というモチベーションがわき、11年間の時を経て現像するに至ったのです。


現像してみると、さすがは11年間放置のツケ、フィルムは劣化しており、ほとんどが色褪せてしまっていました。

(ほとんど緑っぽくなっていた..)


そんな中で一番はっきりと認識できたこの写真。


(フェンス越しの建物、なんてことない写真なのだけど...)


この写真を見た瞬間、「あー!あのときの!」と記憶がバァーっと蘇ってきました。


11年前に出演させていただいた、D.W.ニコルズさんというバンドの「一秒でもはやく」という曲のミュージックビデオの中で、私が撮っていた写真でした。

C.W.ニコルさんとも共演させていただいた、とても思い出深いお仕事。

撮影した日は真夏日で、ロケの待ち時間に車でご一緒だった際、普段は長野県にお住まいのニコルさんが「東京は暑い…暑いね…。コンクリートでもっと蒸し暑く感じる…」ということを仰っていたのが印象的で、このMVを観るたびに思い出します。


まさかこのときの写真が入っていたとは…期待以上の思い出発掘。

もっとはやく現像していたら…とも思うけれど、はっきり見えないのが「本当の思い出」のようで、不思議と後悔していない自分もいたり。


劣化している写真も時を感じさせ、熟したワインのようで、それもそれでいいなぁと思います。

いや、でもフィルムの現像はお早めに…!(当たり前のこと笑)




先日、Twitterでふと目にしたこの馬たち。


「FREEDOM(自由)」というテキストと共に。

海辺を駆けていく姿は、まさに「自由だー!!」ってのを体現しているよう。


この動画を見て、自由ってなんて素晴らしいんだ!と感じたのと同時に、

「自由になるということは、自分で責任を取って生きて行くこと」

なのだなー、と改めて気づかされました。


人間に育てられている動物たちが野生に離された途端、自由を手に入れたのと同時に、これからは自分たちで身を守り、 餌を見つけていかなければらならいように。


※実際には、動画の馬たちは野生の馬とのことだけど。笑

私たち人間で例えるなら…


会社に入ってフルタイムで働くとなると、

指定の時間に指定の場所へ仕事に行かなければなりません。

けれど、会社での仕事をこなしていけば、安定した収入を得ることができます。


一方で、自分の会社を経営したり、フリーランスとして生計を立てたり、はたまた自給自足で生きていくならば、場所や時間には縛られることなく、自分で自分の時間をある程度管理することができます。


けれど、自分で仕事を生み出し続けたり、ある時は営業して獲得に行かなければならなかったり、自分の創造力や行動力を最大限発揮し続けていかないと、安定した収入は得ることができません。


そして、もしそれで上手くいかなかったとしても、責任を取るのは自分。


どちらが良い悪いということではなくて、ここで言いたいことは、自分がどんな状況に置かれた方が”自由(=ストレスフリー)”を感じられるのか?ということです。

「自由に生きる」ということは、どんな生き方でしょうか?


“自由”の定義も人それぞれですが、 私にとっては、時間や場所、社会のルールにとらわれず、 自分の好きなことや、やりたいことをやりながら経済的にも自由になること。


そんなこと言ったって、言うは易く行うは難しだ、と言われてしまいそうですが。


でも結局は、自由ではない状況から抜け出すために、自分で責任をとって生きていく!という覚悟さえあれば、不可能なことではないと私は思います。


そして、私は自由に、何にもとらわれず、失敗しても自分で責任をとって生きていきたいなって改めて思ったんです。


もし、これを読んでいる人で”自由になりたい!”と自分の心が叫んでいるのならば、 その自分の声を無視せず、勇気を持ってできることから一つずつやってみて欲しいです。


自分が理想としている生き方、本当にやりたいこと・好きなこと、ストレスフリーな生き方が、絶対に誰にでもあるはず。


それは、誰かに与えられるものではないし、「自由になっていいよ!」という誰かからの言葉を待つ必要もありません。


このインターネット社会で、これからは今まで以上に「個の時代」になっていくとささやかれています。


個人で活躍する人が増えて、

従来の縦構造の繋がりではなく、横に広がる繋がり・ネットワークができ、

みんなが自由に、何かにとらわれず自分の軸を持って、

そして助け合って生きていける世界になったらいいなぁ...

なんて思っています。